備忘用

あるひは修羅の十億年

(序)

これがじつにいゝことだ
どうしやうか考へてゐるひまに
それが過ぎて滅くなるといふこと

(小岩井農場 パート一)

(おい ヘングスト しつかりしろよ
三日月みたいな眼つきをして
おまけになみだがいつぱいで
陰気にあたまを下げてゐられると
おれはまつたくたまらないのだ
威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)

(小岩井農場 パート三)

《幻想が向ふから迫つてくるときは
もうにんげんの壊れるときだ》

《あんまりひどい幻想だ》
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる

もう決定した そつちへ行くな
これらはみんなただしくない
いま疲れてかたちを更(か)へたおまへの信仰から
発散して酸えたひかりの澱だ

ちいさな自分を劃(くぎ)ることのできない
この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福しにいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得やうとする
この傾向を性慾といふ

もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる

(小岩井農場 パート九)

雲がちぎれてまた夜があけて
そらは黄水晶(シトリン)ひでりあめ

(グランド電柱 青い槍の葉)

*1

(東岩手火山 東岩手火山)

わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない

(無声慟哭 無声慟哭)

感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもつてばかりゐてはいけない

*2

(オホーツク挽歌 青森挽歌)

(Casual observer! Superficial traveler!)

(オホーツク挽歌 オホーツク挽歌)

*1:こんなことはじつにまれです 向ふの黒い山……って、それですか それはここのつづきです ここのつづきの外輪山です あすこのてつぺんが絶頂です 中略 これから外輪山をめぐるのですけれども いまはまだなんにも見えませんから もすこし明るくなつてからにしませう 後略

*2:みんなむかしからのきやうだいなのだから けつしてひとりをいのつてはいけない